■言及
「宮城音弥が過激にやるから、偶然私が運営委員をすることになって、東京工大にいた 5年間はボスだったんだよ。そうすると、割合に人を入れるのが楽だったんだ。だから、川喜田二郎とか、永井道雄とか、石本新だとか、そういう人を私の時に入れることが出来たんだ。わたしが大学に 21年間いたけれど、ボスでいたのは東京工大の 5年間だけだった。宮城音弥とのコンビでやったんだ。梅悼忠夫を取ろうとしたんだよ。でも、京都を離れたくないっていうんだ。それで、川喜田に言ったら「来る」つて言ったんだ。今西学派でしょ。永井道
雄は自分から「来たい」つて言ったんだ。京大教育学部だったけど。石本は学外にいたんだよ。記号論理学をやるわずかな人だったんだよ。で、記号論理学をやる教官が東工大にいないのはおかしいと思って、彼を取ったんだ。あと、衛藤潅吉は丸山真男の系統だ。丸山真男が推薦したんだ。宮城が丸山に聞いて、衛藤を推薦した。宮城音弥と丸山真男は二十世紀研究所で一緒だった。で、私
は知らなかった。」
◇岡田大士 く聞き書き>鶴見俊輔氏に聞く-1950年代の東京工業大学人文系を中心に一 https://www.shs.ens.titech.ac.jp/~sts/ronso/ronso/ronso_vol6/vol6.pdf
■メモ
1996年から納本制度調査会、会長?
そもそもなぜ衛藤が納本制度調査会の会長に選出されたのかがよくわからない。
衛藤藩吉は1923年、満州に生まれる。1948年、東京大学法学部を卒業、1948年から1953年までは東京大学東洋文化研究所助手。その後、東京工業大学理工学部助教授、東京大学助教授を経て教授。
投稿日:2023/03/21
修正日:2023/03/21