酒井隆史 『賢人と奴隷とバカ』(2023,亞紀書房)

□メモ

以下は山口による極めて個人的なメモです。

20250420

 まず「一九六八年と「事後の生」――津村喬『横儀横行論」』によせて」 を読んだ。津村は私にとっても重要なのに、きちんとはなにも書いていない。3月に掲載された「障害者運動と新左翼運動」に関する論考で、津村の影響を受けた人たちのことは書いた。もっと書かないといけないと思う。

 少しエキストリームセンターの頁に付け足した。

  「1968年の否認」という現象をどうとらえるか、考える。反スターリニズムという位置を、「反スタ」と言って簡単に片づけられるようなものではない、という部分でも考えさせられる。「ラジカル」に行けないということと、自己内省、自己否定的なリベラリズムにずっととどまっていなくてはならない――それは何も言ってはいけないということにもなる――という認識は、表裏一体だと思う。

□引用

「一九六八年と「事後の生」――津村喬『横儀横行論」』によせて」 p.108~

〇酒井さんの津村評価

「すなわち、一九七〇年代を、一九六八年代という出来事の衝撃波のもとでの、あたらしい論理や習慣の浸透、分岐、発展、そして、反動、回収、抑圧の構想する渦巻きのようなものとみなしたいのである。いま津村喬を読むということは、その抗争の渦巻きを探査した痕跡をふり返ることである。」(p.109)

〇ノンセクト・ラジカルへの理解

「そのまえに一点、確認をしておかねばならない。二〇一五年に公刊された増補改訂新版『戦略とスタイル』の「まえがき」で津村もあらためて整理しているように、一九六八年、六九年の全共闘運動と名づけられている出来事において、その種別性、つまり、それ以前の運動とそれを区別する要素が「ノンセクト・ラディカル」の存在であった。」(p.116)

〇スターリニズム

「本当の意味で「反スターリニズム」という立場にたつのは、いわれるほどやさしくはないということである」(p.145)

〇自己否定 pp.151-152

「「穏健派」とは、世界で最も穏健じゃない人たちのことだ」──「エキセン現象」をめぐる、なにやらえらそうな人とそうじゃない人の「対話」


□事項

〇エキストリーム・センター
⇒ 「06.「「穏健派」とは、世界で最も穏健じゃない人たちのことだ」──「エキセン現象」をめぐる、なにやらえらそうな人とそうじゃない人の「対話」」

□人

〇猪俣南津雄(いのまたなつお) p.109
⇒横断左翼論

投稿日:2025/04/20

修正日:2025/04/20