■言及
◇あおい 2012 「ミッシェル・フーコーの司牧者権力」,法律・政治・教育レポート
「このことを説明するためにフーコーが主張したものが、「生を与える権力」であり、これはキリスト教における司牧者権力から着想を得たものである。司牧者権力とは、キリスト教会の司祭と信徒の関係になぞらえ、他者の幸福を目的とするという見せかけのもとで、信徒の内面をも管理し教会の支配の原理を貫徹させることであり、自分が守る人々の幸福を確保し、個人の生活の物質的な福利を確保するという日常的な目標を達成することを目指したものである。」
◇酒井隆史・中村隆之・平田周 不詳 「人間狩り・奴隷制・国家なき社会──シャマユー、ミシェル、そしてクラストル」,https://www.ibunsha.co.jp/contents/sakai_nakamura_hirata01/
「フーコーは、「司牧権力」という言葉を使い、規律型の権力からより洗練された支配/被支配の構造を明らかにしていった人なわけですが、シャマユーは、今回の本のなかで「狩猟権力」という用語を使っています。人間を狩猟民という、もっとプリミティブなレベルで捉えようとしている。」
◇池田信夫 2012 「司牧的権力から統治性へ」,https://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51798316.html
「フーコーが西洋的世界の権力の原型と考えたのは、司牧的権力である。これはキリスト教会に代表されるように、「牧師」としての聖職者が迷える羊のような民衆を導くもので、伝統的社会にもよくみられる。ここでは権力の基盤は法や暴力ではなく聖職者の「善行」であり、彼らは属人的な施しによって民衆を指導する。」
◇そんそん 2024 「「対抗導き(コントル・コンデュイット)」としての「啓蒙」——ミシェル・フーコーの統治論」,https://note.com/sonson01/n/nbb0395324bea
「フーコーが権力論を「統治」という大きなスケールで展開するようになったのは「司牧権力」という概念である。これは西洋近代に特徴的な権力のあり方をキリスト教の「導き」の「世俗化」として捉えたことにある。この統治という概念は、古代ギリシア・ローマの「自己への配慮」の問いへとつながり、さらには「自己と他者の統治」という統治論の大きな枠組みをかたちづくる。」
■著書
〇箱田徹. (2018). フーコーの闘争. 慶應義塾大学出版会.
■論文等
〇荒又美陽. (2022). G. シャマユー著, 平田 周・吉澤英樹・中山 俊訳: 人間狩り── 狩猟権力の歴史と哲学. 地理学評論 Series A, 95(3), 229-231.
〇小畑嘉丈. (2022). ディネシュ・J・ワディウェル 『現代思想からの動物論戦争・主権・生政治』. 麻布大学雑誌, 33, 59-63.
〇亘明志. (2023). 社会的なものの系譜と統治性・序論.
〇坂本尚志. (2013). 「他者の統治」 から 「自己の統治」 へ: 1980 年代初頭におけるミシェル・フーコーの思想の変容. 関西フランス語フランス文学, 19, 27-38.
〇坂本尚志. (2021). ウイルス, 病, 身体——統治と他性のフーコー的視座. フランス哲学・思想研究, 26, 112-122.
〇藤田博文. (2002). ミシェル・フーコーの 「権力」 概念の特質--「調整」,「生-権力」, そして 「司牧者権力」 の概念分析を通して. 立命館産業社会論集= Ritsumeikan social sciences review/立命館大学産業社会学会 編, 38(3), 93-111.
〇藤田博文(2016). 1970 年代におけるフーコー権力論の転換-新自由主義的合理性における 「真理の形成」-(鈴木富久教授退任記念号). 桃山学院大学社会学論集, 49(2), 145-176.
〇森本脩也. [態度としての啓蒙] をめぐって-ミシェル・フーコーにおけるカント啓蒙論の評価について.
〇柳内隆 (2008). < 論説> 正義の根拠--ポスト・モダン (フーコー) からみたロールズ. 近畿大學法學, 55(4), 1-36.
〇李承駿. (2007). ミシェル・フーコーの統治合理性批判: 司牧, 国家理性, 自由主義の分析から.
〇吉澤英樹. (2023). グレゴワール・シャマユー著 (平田・吉澤・中山訳)『人間狩り―狩猟権力の歴史と哲学』(2021 年, 明石書店). 日本フランス語フランス文学会中部支部研究論文集, 46, 43-46.
■ほか
〇https://researchmap.jp/tetzhakoda/research_projects/24506371
投稿日:2025/06/24
修正日:2025/06/24