20251011日誌:山下澄人さんの京都ラボに参加して

猫が3匹ばかしいるとして。「ばかし」と書いてしまった。ばかしって口語というかちょっと方言っぽい口語な気がする。ともかく、猫が三匹ばかしいて、その猫はクロネコ、クロネコ、三毛猫なのである。もしかしたら、クロネコクロネコは親子かもしれない。三毛猫はたぶん別行動をしているようでもあるが、クロネコと一緒にいるのも見るからなにか群れなのかもしれない。どうも近所でうろうろしているようで、うろうろしているといっても、猫がそこらへんうろうろしているのなんか普通のことなのだが。まあともかく近所にいて、なんか生きてるようである。そのうち、三毛猫を良く見る。家の近くに猫が三匹いるだけなのだが、いや、もっといるのだが、ともかくその三匹は目につく。

家の裏の道、そこにはスーパーと豆腐屋、あとおしゃれなカフェというか喫茶店というか飲食店というかみたいな道がある。その通りは東に向かってちょっと斜めっている。斜めっているというか、こう、坂になっている。東側に向かって傾いている。傾いているので、西側に向かおうとするとちょっと上を向くことになる。だが、なんとなくまっすぐというか水平にも感じる。錯視のようになっていると言ってもいい。トンネルを走っているときにもよくなるあれ。あの、上に走ってるのか下に走っているのか、水平なのかよくわからなくなる感じ。なので、走っていると、上に向かっているのか水平に走っているのかわからなくなる。それで、私はいつも不思議な錯覚に陥る。そういう道に猫が三匹住んでいる。

そこの豆腐屋はいい豆腐屋である。いい豆腐屋というのは、まず第一においしい豆腐屋だということである。まずおいしいのである。これが大事だと思う。それだけでなく、よく小学生としゃべっている。近所の学校帰りの小学生としゃべっている豆腐屋がわるい豆腐屋であるはずがないような気がする。そういえば、小学生とあんまり変わっていないというか。小学生のときもこんなことよく考えてた気がする。あのコインランドリーでこの時間によくおばあさんが洗濯してるなぁみたいな。あと、その道をもっと北に行くと、番猫みたいな奴がいる。三毛猫っぽいけど、どっちかというと、白地にブチが入ったみたいな奴である。あの猫はいい奴なんだが、どうも人に気に入られようとしているところがある。そこが若干いけ好かない感じもしなくはないのだが、などと書くとよくないかもしれないが。ともかくこう、戦略的に人と仲良くしているようなところがある猫であるような気がする。とすると、特徴的猫が4匹いることになる。でもあれだな、本人に君はなぜそんな風に人間と仲良くしているんかと聞いたほうがいい気もするね。クロネコ1号に代わりに聞いてもらってもいい。

なるほどなあ。そんなことはどうでもよくて、どうでもよくないんだけど、ともかく猫のことは忘れたい。ラボのこと書こうと思って、でも猫のことが頭に出てきたからまず書いてみた。

土曜日に山下澄人さんのラボに行って、そのラボはたぶん研究所での実験みたいな意味だと思うだが。ともかくそこに行った。でも違ったらごめんなさい。経緯は略。その前にちょっと寄るところがあって、そこでも絵を描いたのだが、なんか混線しそうなのでそれはパス。ともかく絵をかいて、そのお寺に行った。多分お寺の話も初めてでてきたけどそれ書いても仕方ないなと思った。思ったのに寺の話が書きたくなった。その寺はなんというか、すごくいいお寺だった。歴史のあるお寺で(→追記②)。なんかぼーっとしていたらお爺さんと言っていいのかわからないけど、そのお寺に来たお爺さんがこれがこういうお寺でいやあみたいな感じのことをばーっと言ってた。その話も面白かったけど忘れてしまった。大河ドラマの話もしていた気がする。私が一番好きな大河ドラマは『真田丸』なんだけど、その話もしていた気がする。実は江戸時代に実際に見たんだみたいなことを言っていた。あーなんかこう、それでいいお寺なんだなと思った。実際いいお寺だった。いいお寺とわるいお寺なんてないと思うけれども。こうエネルギーを強く感じるお寺だった。あと、枯山水の庭園があった。すごくいい松があった。また見たいと思った。

ラボってなんなんですか?と何人かに聞いてみたが、いや、ラボって私も始めて来たんでよくわからなくて、前日がどうのこうと返されたので、結局よくわからなかった。ZINE的なものもいただいて、それぞれは確かに面白かったんだが、結局ラボってなんなのかは書いていなかったからわからなった。だから、とりあえずわかったこと書くか。

ともかく二人が選ばれて、それを見るみたいな。多分全然これじゃ伝わらないけど、でも面白かったです。面白かったですでは伝わらないだろうから、何が面白かったかを書いたほうがいいと思うのだが、それがよくわからない。私はペアの人がずっとしゃべっていたから聞いていたら、というか入る隙間がなかったから、あーうんと聞いていた。聞いていたというか、正直話の内容はわからなかった。まず私はあんまり人の話を聞けない。全然違うこと考えてしまうから。案の定全然違うことを考えていた。蜂の話をしている人がペアだった、あー蜂ね。蜂。蜂って怖いよなあと思った。それで靴下見たら、蜂の色をしてて、蜂の色してますねと言った。ほんとそんな感じだった。山下さんには、面白いと言われた。面白いといわれてもはあそうですかと若干思わないこともなかったのだが、なにしろ、なんといってもとくになにもしてなくて話に置いて行かれていただけだったから。ああ面白いってこういうことかなあともふつうに思った。話においていかれた人みたらおもしろいもの。なかなか見れないし。話においていかれた人をじっと見るというのは人々にとって初めてだったに違いない。なんかこうぼーっとしているのがいいみたいなことも言われた気がする。だとしたらそれって得意かもしれないが、単にぼーっとするのと、ぼーっとしようとしてするんじゃ全然違うよなぁとも思った。

だからそう、ともかく、我々が何かを言い、山下澄人さんがそれになにかを言う、という形態。フォルム。そのフォルムなのだが、あまりにもなにか自由であって、自由でもない感じがする。抽象的なこと書くか。書くとすると、ある程度有限にするということです。人間パワーコード。後輩が、とりあえずAという音とBという音を鳴らしたら、それが何の音であれパワーコードだ的なことを言っていた(→追記①)。もうとりあえずむちゃくちゃでいいと。というか無茶苦茶のほうがいいと。むちゃくちゃと無茶苦茶で変換が分かれてしまったが、もうたぶんそれでいいんだと(笑)。別にそれは、ドに対するソでなくていいらしい。そんなわけあるかと思ったけど、そんな感じがする。Aという人とBという人を同時に鳴らしてみて、それでどうなっているかということより、それがある種の有限な場に区切られているということのほうが大事。それで「成立」するということ。その成立についての実験=ラボなのだと思う。それでこの文章も書かれた。

つまるところ、猫→家のうらの坂道が変→豆腐屋→ラボと書いたわけだが、書いたというか思ったこと全部書いたからそうなったんだけども、そんで書いてみたらこうなった。で、それはまあパワーコードなので、で、この私の日誌に入れることである種の額縁みたいになって成立する。で、「で」とかさすがに接続詞としてどうなんだ、とか思いつつも、多少二、三人には読んでもらいたいとも思うから、ツイッターにこれ流すわけだけど、そうするとまあちょっと作為的だけれども、作品的なことにもなるわけで、それでもう行けていると。普通に考えたら、猫→坂道変→豆腐屋→寺→ラボなんて書き方はしないけど、成り行きで鳴らしてみたらそうなったわけで、それでいいんだと。そういう安心感をもらった。つまりオチというか結論として、ラボでその安心感をもらったということになる(笑)。書くことができるものごとが増えたことになる。ありがとうございました。


追記①:
パワーコード云々は北村公人さんのツイートだったのを思いだしたのでちゃんと書いておきます。「とりあえず2つ並べときゃあ」というのが名文な気がしました。北村さんは大変良い研究をされていて、良いものを書かれていて、大変面白いのでぜひとも読んでほしいです。特に論文がよいです。
https://x.com/Bou_gain_villea/status/1572869913995538433

追記②:
調べたら、行ったお寺は「瑞泉寺」というお寺でした。ずいせんじと読むよう。ぼーっとしていて、行ったときはちゃんと考えていませんでした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%9E%E6%B3%89%E5%AF%BA_(%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82)

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山口和紀