■送ったメール

---20251031---
時間論。私は、大学院生やってて、なんかこう周りが(大学のそれなりにみんな優秀な同期とか、高校の友達とかが)人生をうまーく進んでいるのに、自分はたまーになにか論文が出たり、それも別に大したものではないし、と悩むというか思うことがあります。それは、ひとつは時間論ということになると思います。

興味あれば調べて欲しいんですが、障害学の割と一部分は盛んに時間論をやってます。去年イギリスに行っていろいろ聞いた時も若い院生が時間論のことやってました。Crip Timeとかいいます。アリソンケーファーという人がいて、その関連本の訳をしている加藤さんという人とイギリスで1週間くらい駄弁りながら居て、それで私も時間論に刺激を受けました。クロノノーマティビティ(これ日本語にどう訳されてるのか知らないのですが、線形時間規範みたいな感じかなと)という議論を背景にしている。同じく知らないですが、queer timeという言葉でも似たような議論がされてるようです。

それはどういう話かというと、要は「周りが進んでいく」「自分は遅れている」というお腹の痛くなるような話を、むしろ肯定的にひっくり返して考えようみたいな議論です。ざっくり言えば、障害者は健常者から「遅れていく」わけですけど、それで別にいいんだと、むしろそこから「別様の」時間のあり方を立ち上げていくみたいな議論です。

インタビューを読むとやっぱり時間なんだと思います。(自分だけが)遅れていく時間を過ごすというのは普通はつらいわけですけど、より主観的には、毎日変わらずそこそこの、別にそんなに悪くはない時間を過ごしているとも言える。私もそうです。どう考えたって大学院なんて寄り道で、それで食べていけるとも思わないし、まあわりかし私はマシなほうかもしれないとか自分を慰めつつも、やはり普通には「遅れていく」わけですけど、もっと1日1日で考えたらみんなで飲みに行ったり、夜中までぶらぶら散歩したりして楽しいと言えば楽しい。そういう時間的な重層性を議論に載せることはできると思いました。

という感じで、ひとつは、「引きこもり」というものにおいて、時間というものがどう経験されるのかということが議論として、成り立つと思います。それはかなり複雑なものであろうと思うのと、議論に広がりがあって、良いと思います。

障害者だったら、「働きたくても働けない」というのが明らかにそうであったりするかもしれないですけど、引きこもりの人の多くは、特に若者はわりかし健常な人が多くて、外形的には働けるとして、ただどこかでなにか「時間」が変わるというか、働けないある種の時間に陥る。その事をどう考えるか(それがいいとか悪いとかは考えても多分大したことにはならない)、というよりも、それがどういう時間なのかを考えたほうが論は立てやすいと思います。

あるいは、「遅れ」を取り戻そうとしたり、実際取り戻せてしまったりするわけですよね。あるいは、なにかまあ調子に乗って、取り戻そうと頑張ってしまって、かえってコケたりする。そのこと自体が大変興味深いというか、面白いことだと思います。具合が悪い「リズム」とか「周期」とかも、そこから考えられる気がします。なんていうか、こう電車乗ってる時みたいに、グングン周りの景色は進んでいったりするわけですけど、それでいいなーとか思ったりするわけですけど、自分はまあ頭痛かったりスマホ見てぼんやりしてるだけだったりするわけで、それがどういうことなのかを社会学的なり人類学的なりに考えることは絶対可能だと思います。

正しい時間の進み方(それこそ普通に学校行って卒業して働いて、結婚してみたいな)があり、そこから「遅れていく」時間があり、しかしそれ自体は別に悪いとも言い切れない、むしろある程度楽しいものであったりして、そこにも具合良くなったり悪くなったりみたいな生きものとしてのリズムがある。というか、引きこもりで色々考えちゃって、具合がわるくなったりする。自分の生きている時間の「遅れ」によって、自分が具合悪くなったりする(→クロノノーマティビティなる議論はこれと直結)。

そこになにか、親が死んだり、自分がなにか思い立ったりするみたいな出来事が重なる。このこと自体を議論の対象にできないだろうか、と思いました。道具はqueer timeだとか、crip timeだとか、クロノノーマティビティだとかいろいろあると思います。「引きこもり」の場合は、それは正しい時間に対する「抵抗」ではないわけですよね。そういう単純な話ではない。本人もだいたいにおいてはつらい。基本的には。だからこそ、その複雑なところを考える価値があると思います。

投稿日:2025/11/25

修正日:2025/11/25