20260125日誌:置き配的

 福尾さんの置き配的をアマゾンで頼んだ。それで次の日家に帰ってきて、なんというか文字通り置き配されてたのだが、家に取り込まずに一晩置いてしまった。その時ちょうど頭痛くて。

 それで今読んでみている。なるほど、置き配的かあ、と納得。月並みな感想未満の感想。読む前、全然イメージついてなくて、置き配的というのはたとえば、この日記とかそうだけど、誰も読まないのに置いてあって気がついたら置いてあって、それで読みたかったら読めるみたいなことかと勝手にイメージしていたが違うようだ。それは置き配と言うか無人販売所。無人販売所的なコミュニケーション。商品さえあれば、誰か来るだろう、というこう、楽観的な感じ。誰も読まなくていいとも思ってないわけだし。

 えっと、それで、なんだろう。置き配的というのは言ってみたら深読みというか、喋ってて、あーはいはい、そうそうみたいな。勝手に分かった気になって結論を推測して、あーその話はこの話ね、みたいな、勝手なラベリングを「メタデータ」でやってしまうみたいなことかなと。まあそういうことよくやってしまうけど。ある程度は仕方ないわけだけど、良くないよなあと反省。置き配的というのは、よく言えば理解が早い、悪く言ったら変なラベリングというか。あの人はリベラルだからこう言うよね、あの人は〜みたいな。

 コロナ禍で置き配的なコミュニケーションが加速したのはまだマシで、今は人間かとうかも疑わしいわけで、とか思った。

 結構難しいのでまた読む。

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山口和紀