■文献
「成瀬 それから、自民党が教育大を推す。社会党は、今よりもっと力が強かったのですが。社会党は文理大を推して、「東京文理大と一橋大学、それから、東京工業大学、東京医科歯科大学とを併せて、新しい東大のような総合大学を作ろう」と。この人たち、やはり、東大に残れなかった先生方なのでしょうね。そのような案があって。そちらを推す人と、二つに分かれたのです。それで、東京音楽学校と、東京、今、東京芸術大学? 芸術大学は教育大と組んでいるわけです。東京音楽大学校は、朝日、文理大と組む。そのような、大ごとの時代があった。
そのときに、原野広太郎は文理大についたのです。ところが、文理大は歴史が古いけれども、東京教育大は、今の東京高等師範から、お茶ノ水の昌平黌……東大の赤門と並ぶぐらいの。
インB お茶の水女子大学ではなく?
成瀬 いや。お茶ノ水の駅のところに、古い、昌平黌という幕府の学問所があるのです。
インA はい。
成瀬 今の東大になったものと、それから、お茶ノ水のところにある昌平黌の二つが幕府の御用学問所で。それが東京髙師、東京教育大に変わったのですから、先輩がたくさんいるわけです。それで、政治力もあるから、結局文理大派は負けてしまったのです。
インB それほど大変な戦いだったのですね。
成瀬 ええ。そのような大変なときに、どちらにつくかということで。原野広太郎は文理大の方についたので、教育大になったときに干されてしまった。それで、あまりよそに出ないままになってしまったのではないのでしょうか。
長島貞夫さんはご存じですか。そのような時代に文理大派の長嶋さんは埼玉大学へ移った。どちらへ着くかについて学生が相談に来るから、「どちらへつこうか」と。「どちらにもつくな」など助言していました。
インA 巻き込まれて、明暗が分かれてしまうわけですね。
成瀬 そうなのです。それで、結局、僕に分かったことは、そういう学内紛争のとき、大学の先生が学生を利用するのですね。だから、大学紛争は、ほとんど先生が起こしているのです。それに乗る学生がいるわけです。その人たちが、結局、就職ができなくて、どうかなってしまったりしたのです。最後の大きな大学紛争でも、そうでしたし。もう、それ以前も皆、先生が学生を使って、先生は表面に出ないのです。皆、そうでしたよ。
インA そうなのですか。
成瀬 それで、「催眠術を一つの学会にしよう」ということで。学会というものは、その頃、日本心理学会の他に、日本応用心理学会というものがあって。この二つだけだったのです。それで、新しい学会を作るなどということは、若造が作ったら、まず干されてしまうという時代ですね。
ところが、「学会を作りたい」と言ったら、小保内先生が「いいよ、やりたまえ」と言うのです。それで、先生も自分で入っていただいて、宮城さんも会員に入ってくれて。だから、あまり、あちらこちらからいじめられないで済みました。」
◇心理学ミュージアム 不詳 「成瀬悟策先生 オーラルヒストリー」https://psychmuseum.jp/oral_history/narusegosaku/
投稿日:2022/07/09
修正日:2022/07/09