■メモ
アメリカ留学→アメリカ流の教育制度を知る→初代文部大臣→学制
■文献
「まず、はじめに日本最初の文部大臣、森有礼(もりありのり)。実は歴史の教科書でもそれほど大きく取り上げられる人ではありません。名前を知っている人でも、英語を日本語化しようとした「国語英語化論」などハイカラで突拍子もない人で、大日本帝国憲法発布式典の日(1889年・M22)に伊勢神宮不敬事件をきっかけに国粋主義者に刺されて死んだ人、くらいのイメージではないでしょうか。もしくは、学校で教育史を学んだのであれば、初の文部大臣として国体主義の教育観をもって様々な教育制度を構築し、師範学校に軍隊式の教育を取り入れた人、と思うかもしれません。しかし、生きている間も、亡くなった後もさまざまな誤解に晒され続けながらも非常に重要な仕事をした人でした。今回、本棚に挟まっていた 井上勝也著『国家と教育』を読んで森有礼について興味を持ったのですが、知れば知るほど森が好きになっていくし、森有礼を中心に明治時代を見ていくと、日本の近代教育がどのように成り立っていくのかがよくわかります。結果として、ものすごく長いサマリーになってしまったのですが、2回に分けてご紹介しておきます。
森は、時代的な感覚でいうと、幕末の激動の時代に海外経験をもとに同志社を立ち上げた新島襄と同じ時期に生まれ、亡くなっています。福沢諭吉が咸臨丸に乗り込み、初めて海外にでたのが、1860年ですが、森がイギリスに渡ったのはその5年後の1865年、新島がアメリカに渡ったのが森がイギリスに渡る1年前の1864年です。年齢的にいうと、森は福沢諭吉の12歳下、新島襄の4歳下、渋沢栄一の7歳下。後述するように日本初の啓蒙結社である明六社を立ち上げたのが、27歳の時、初の文部大臣になったのが39歳の時なので、非常に若くしてさまざまな仕事(活躍)をした人となります。」
——森有礼ー日本の近代教育制度の骨格をつくった初代文部大臣(前半)―わたしたちの教育のルーツを辿る(9)https://kotaenonai.org/blog/satolog/9389/
投稿日:2022/07/12
修正日:2022/07/12