■泉房穂
「私が国会議員になった2003年には、すでに民主党で調査を進めていました。ただ、その時点でも真相は分からない状態でした。民主党の調査が終わったあと、私も段ボール箱を見返したりご家族に話を聞いたりして、自分なりにベストを尽くたつもりです。それでも、膨大な資料のなかからヒントを見つけることはできなかった。相当調べたつもりでしたが、分からなかったです」
「明らかに揉み消しですからね。検察自身が金銭トラブルと主張するんだから、国家を挙げてのもみ消し工作だったと思います。裁判も不信感のある裁判ではありました。怨恨による単なる金銭トラブルで単独説と説明されましたが、そんなわけがない。それで鞄を持ち去られたり鞄の中身がなくなったりするわけがない。作られたようなストーリーでした」
明石市長という立場ではこの件に関してできることは少ないが、石井氏への思いは強い様子だった。
「『偲ぶ会』の友人代表は、私が冒頭で挨拶をしたし、石井さんが一番最初に駅立ちをしたときも一緒に立ちました。最初にマイクを握ったときに横にいたのが私でした。石井さんに導かれるように政治の道に進んだんです」
◇西谷 格 "石井紘基議員暗殺事件、“愛弟子”泉房穂・明石市長「国家を挙げてのもみ消し工作だった」"
■文献
「2002年10月25日、世田谷区の自宅駐車場で迎えの車に乗ろうとしたところを指定暴力団の山口組系の一人団体である「右翼標榜暴力団」『守皇塾』代表の伊藤白水によって、刺殺された。翌26日に警察に出頭し逮捕された伊藤は動機について、「資金提供の仲介をした恩をあだで返すような言動をしてる」と供述している[4]。」
◇Wikipedia 石井紘基
「2002年10月25日、民主党の衆議院議員・石井紘基が、世田谷区の自宅駐車場において柳刃包丁で左胸を刺され死亡した。
翌10月26日、指定暴力団の山口組系右翼団体(“構成員即ち代表”の一人団体で、いわゆる「右翼標榜暴力団」)『守皇塾』代表の伊藤白水が警察に出頭し逮捕される。伊藤は「家賃の工面を断られたため、仕返しでやった」と供述したが、石井が国会議員や官僚の腐敗を徹底追及していたことから「暗殺された」との見方もある[1][2][3][4]。10月28日に予定されていた国会質問を前に、石井は「これで与党の連中がひっくり返る」と発言したという事実などが挙げられている[3]。」
◇Wikipedia 石井紘基刺殺事件
投稿日:2022/07/12
修正日:2022/07/12