■文献
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筑波技術短大は今
筑波大学付属盲学校
有宗 義輝
はじめに
1978年以来の約10年間は、いわゆる「国立身体障害者短期大学(現筑波技術短期大学)」の創設反対に明け暮れした日々であった。なぜにそれほど情熱を込めて反対をしなければならなかったのか。その反対が意味を持っていたのか。はたしてこの運動は、視覚障害者教育や理療教育にとって、正しいものであったのか。筑波技短開学後、10年が近づきつつある今、これらの点について考えてみたいと思う。
1. 短大反対運動の経過
1972年に、理教連が当時の専攻科生を対象に「今後の専攻科のあり方」をめぐって、アンケート調査を行った。その結果、72%の者が「短大になるべきだ」と回答したのである。それを受けて理教連は、専攻科の短大昇格の方針を打ち出した。一方、筑波大学付属ろう学校のPTAから始まった、聴覚障害者向けの短大作りは、筑波大学及び文部省を動かす事となり、付属盲学校も巻き込まれていく事となった。これがボタンのかけちがいの始まりだったのである。即ち、専攻科の生徒や付属盲学校が求めていたのは、「専攻科の短大昇格」であり、付属ろう学校や文部省が考えたのは、1校だけの障害者短大作りであった。
1978年に短大創設の基本方針が発表されるに至り、付属盲学校の教官会議は、これに多くの疑念を抱くようになった。また、その疑念は、付属盲学校卒業生を中心に学校外へも広がっていったのである。
疑念の最初はごく単純なものであった。1校だけの短大を作る事は、他の専攻科の昇格を妨げる事にならないか。まして、従来より
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専攻科の短大昇格を計画していた付属盲学校にとっては、別の短大が作られる事は、同じ国立の短大と付属盲学校の専攻科が併存する事となり、そこに競合状態が生じるのではないか。そして、既存の専攻科卒業生と短大卒業生との間に、新たな差別を生み出す事になるのではないかというものであった。
ところがこの疑念は、短大関係者にとっては最も面倒で触れたくない問題であった。なぜなら文部省にとってみれば、「新たな短大作りか、専攻科昇格か」のテーマは、そのまま教育大学の筑波移転問題が抱えていた疑念と同じだったのである。また、筑波大学関係者にとっては、「新たな短大作り」は、従来より何かとうるさい付属盲学校組合を、この話題から排除するのに恰好な手段であった。
その後、我々が教官会議を通して筑波大学へ向けた短大に関するあらゆる質問は、ほぼ無視される事となった。ただ、しつこく迫る付属盲学校側の主張によって、やむなく創設計画は次の2点で修正されたのである。
(1)針灸学科においても、あんまの免許取得可能とする。
(2)視覚障害部に音楽科は設置しない事とする。
これは結果的に、現在曲がりなりにも短大が存続しえている事実の手助けを、我々がしてしまった事になるのではあるが。
そして、付属盲学校内には「短大問題検討委員会」が組織され、校外には視労協を始めとする「短大反対連絡会」が結成されて、手を結んでの反対運動が展開されたのである。
2. 反対派の主張と短大の現状
反対派の主張はおよそ以下の4項目に集約される。その主張と短大の現状を比較、検討してみたい。
主張の1は、障害者短大などを作ると、一般大学からそれを口実に視覚障害者が閉め出されてしまうのではないか、という事であった。
この疑念は短大創設計画の初期において、「将来は短大に文学部など一般学部も創設したい」という計画があったため、より切実に心配された事であった。しかし、この文学部創設計画は、我々の主
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張を受けてあえなく消えてしまい、音楽科も共になくなったのである。と同時に、高等部進路指導の教員をはじめとした努力により、現在、一般大学の門戸はさらに開放されつつある。
主張の2は、短大を1校だけ作る事は、既存の盲学校専攻科の昇格を妨げる事にならないかという事であった。これは全くその通りであり、筑波大学にとってはもちろん、文部省とっても、障害者のための高等教育機関創設などは、すでに完成しているのであり、今後、盲学校の生徒減に伴う統廃合問題とからんで、専攻科の将来像を考える事は、更に重大なテーマとなってくるであろう。
主張の3は、同じ国立でありながら、短大と付属盲学校専攻科が、競合してしまうではないかという事であった。これは短大関係者にとっては、何ら心配のいらない事であった。短大に学生が集まるために付属盲学校専攻科は生徒不足となる。そうなれば専攻科を自然消滅の形でおさめればよい。短大人事に絡めて、組合消滅を図るよい機会なるわけである。ところがこのもくろみは大きく外れてしまった。集まるはずの短大に学生が集まらないのである。付属盲の専攻科の消滅もおこりそうにはない。(この理由については後述するが)現状として細々とお互いが、競合しつつ併存しているといったところであろうか。
主張の4は、1校だけの短大創設では、昇格を求めた専攻科の卒業生達に何らのメリットがなく、かえって短大の存在のゆえに、専攻科卒業生が新たな差別を受ける事にならないかというものであった。この懸念は今でも消えたわけではない。ただし、まだ卒業生を2期しか出していない現状では、評価しきれないところである。が、1994年11月に関東地区進路指導協議会において、短大関係者から出た発言に注目しておきたい。それは「あはきの免許を段階別免許とし、短大及び大学の卒業生には特級免許とでも言うべきものを与えたい」というのである。
3. 短大の問題点
当初、1982年開設をめざした短大創設も、反対運動の盛り上がりなどから、ようやく5年遅れの1987年になって開学となっ
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た。
現在までに短大は2期の卒業生を送り出しているわけであるが、種々の問題点を抱えている。それを次にあげてみよう。
(1)定員
視覚障害部においては、理学療法科を除いて、ほぼ入学定員を満たせないでいる。ある程度普通学校からの弱視者掘り起こしには成功しているものの、盲学校出身者、特に重度視覚障害者の入学が少ない事が目立つ。
(2)所在地
視覚障害者にとって、どのような学習環境が適当かなど全く論議されぬまま構想された短大であるために筑波地区を嫌う学生達が多く、さらに入学定員を満たせない状況に拍車をかけている。この地域的問題は、都会での就職先を探し得ないという現状の遠因ともなっているであろう。
(3)学習環境
盲学校とはけた外れの国費を使っているだけに、短大の施設、設備は整っている。ところが、点字のレポートを受け付けない講座があったり、就学奨励費が適用されないため学生の経済的負担が大きいなど、学習環境は決して恵まれているとは言えないのである。
(4)あんま課程
鍼灸学科であんまの国家試験受験資格は得られる。これは先にも書いた通り、我々の主張(鍼、灸だけで視覚障害者が自立していけるか)によったものであった。しかし、鍼灸学科はあくまでもその目的が異なり、あんまは単に選択科目にすぎない。そこでカリキュラムには当然無理があり、この面の指導不足は顕著である。
(5)国家試験
では、あはきの国家試験合格率はどうか。2年にわたって送りだした卒業生のうち、2年とも不合格者を出すに至っている。医学の専門家や研究熱心な指導層はそろっているかもしれないが、真に教育現場で体当たりで学生に対処する教員は、ほぼいないと言ってよいであろう。
(6)就職
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鍼灸学科の1期生は13名であった。入学時は17名が卒業時にはこの数字である。そのうち就職できた者5名、うち1名が事務職、2名が地元盲学校での紹介。情報処理学科にあっては、今後更にきびしい状況となるであろう。
(7)進学
ここで進学と言えば、鍼灸学科から理学科教員養成課程施設への進学という事になる。今までのところ11名が受験し、1名のみの合格である。
これらの問題点は一言でいえば、付属盲学校との競合を恐れず、我が世の天下を夢見た短大関係者の甘さからきた結果であると言えよう。
4. 今後の課題
短大反対派の立場の私として書いてきたから、こうなるのかもしれないが短大は当初からの問題点を抱えたまま存続を続けている。かと言って、今更文部省はこれをつぶす事もできないであろう。では、どうずればよいか。
私の立場から言えば、短大はどうなってもよい。そこに行った学生が気の毒だという事を除くならである。しかし、専攻科をどうするかという問題は、依然として解決していない。それどころか、生徒減等からいよいよ専攻科の限界は見えてきている。大学を出れば学士号、短大を出れば準学士、更に今は専門学校卒業生が専門士の称号を得られる事となった。そして、晴眼養成学校及び視障センターはいずれも専門学校である。あはきの場合、専門学校を出ると、「専門士(医療分野)」を名乗る事ができる事となった。一方、専攻科を出た者には何も与えられない。これがまた将来新たな差別へとつながっていかないだろうか。盲学校専攻科は、もはや今の数ほど必要はない。数は減らされても、少なくとも大学、短大、専門学校、いずれかの高等教育機関として生き残っていかなければならないのではないだろうか。存在も含めて、この事を切実に考えなければならない時が来ていると考えるこの頃である。
◇『障害の地平』No.84
視覚障害者労働問題協議会 編 19950922 SSK通巻第593号;身体障害者定期刊行物協会,24p.
http://www.arsvi.com/m/sc084.htm
投稿日:2022/07/17
修正日:2022/07/17