■書籍

1988 『治療という幻想——障害の医療からみえること』,現代書館

■言及

「中学時代からの親友で優秀な外科医であった藤戸正垣君の死は、私ではなくなぜ彼だったのかという疑問を私になげかけ続けています。それと同時に、「自分の手術のときは彼に身をまかせればいい」と考えてきた対象を失い、外科的なことをゆだねられる人間をなくしたと強く感じさせられています。治療というのは他人に主体をゆだねることだったということにはじめて気づかされたのです。論文の執筆のスタートは、彼の死にありました。」(1988 『治療という幻想——障害の医療からみえること』:267)

■立岩による言及

「(立岩による発言=注記)山田さんは小児科医で、今年だと毛利さんとの共著で『育育児典』(毛利・山田[2007])が十月に出て、順調に売れていると思います。僕は、山田さん、毛利さん、それから後でも出てきますが石川憲彦さんといった人たちの本が一定の読者を獲得していることは、この医療という陰鬱な業界において数少ない喜ばしいことの一つであろうと思っています。」
「◆山田:だからむしろ運動をやっていた部分が、運動をやりながら、世の中変えるということを目指しながら、同時に患者さんに寄り添うことはできたはずなんだ。イギリスへ留学した私の一年下の精神科医の話を聞くと、やっぱりイギリスで反精神医学をやった連中は、その後物凄く苦労して、試行錯誤で、いろいろな実践をやったらしい。一旦は反精神医学的に割り切ったけれども、それだけでは済まないというところへもう一回戻って、そこで苦悩して新しいところを切り開こうとする努力をした。その部分が日本では欠けていると思う。そこをやってほしかった。やろうとしたけど、もうそこには運動がなくなっていて、できなくなってしまったという。だから石川憲彦なんかはいわゆる活動家ではないけど、やっぱり何かやらなければいけないと思い続けて実践していると思うのだけれど。
◆立岩:石川憲彦さんの著作が与えたものは大きかったです。『治療という幻想――障害の治療からみえること』が重かったです。一九八八年の刊行ですね★。雑誌『季刊福祉労働』★の連載がもとになっていますから、まず連載の方を読んだのかもしれませんけど。もっと以前に出た本のような気がしていました。ずっと東大病院で小児科医してらして。「医療と教育を考える会」というのをやっていましたよね。いっしょに『生の技法』を書いた仲間の岡原正幸がそこに出入りしていたと思います。」
◇「山田真に聞く」→2007/12/23 於:立命館大学衣笠キャンパス・創思館403.404 15:30~山田 真・立岩 真也(聞き手) 主催:生存学創成拠点

■関連する人・事項

◇石川迪夫

◇島田事件

◇日本小児科学会→闘争(未熟児網膜症/大腿四頭筋短縮症)

■年表

1946:生まれ。母親は商家の出、父親は淡路出身(立岩による石川へのインタビュー[2022])

?:灘中学へ。中学時代は水泳をやっていた(立岩による石川へのインタビュー[2022])

?:大学受験では、東大と京大を受けようとしていた。京大の方は「模擬受験」のつもり(立岩による石川へのインタビュー[2022])

1973:東京大学医学部卒

?:静岡県の病院に着任→おそらく1974年(立岩による石川へのインタビュー[2022])

?:「医療と教育を考える会」を作る→ Enpediaの「石川憲彦」のページには1977年とあるが典拠不明

198703:現代書館『福祉労働』に『治療という幻想』のもととなる連載を開始。

198606 :『治療という幻想』のもととなる連載を終了。

198702:東大病院小児科より精神神経科に移る

投稿日:2022/07/23

修正日:2022/07/23 -> 2023/10/23 -> 2023/11/12