■文献

◇安冨歩. 生きるための経済学 2008 -< 選択の自由> からの脱却-生きるための経済学-< 選択の自由> からの脱却, NHKブックス

■覚書

 これは単なるメモに過ぎないのであしからず。

 大学4年生のときにこの本を読んでかなり影響を受けたと思う。障害学という学問を考えていて、その障害学という学問がなにかというとかなり複雑な話になりそうなので忘れて、とにかく「選択」と「自立」について障害学とつながるところがあると思った。

 経済学というのが「失楽園譚」の焼き直しに過ぎず、単にそれをなぞっているだけなのだ、という視点は目から鱗だった。障害学で入れ替えてみると、これは書いたら怒られそうな気がするが、「施設=選択の不自由」から「地域=選択の自由=自立」へ、を称揚というか上に持ち上げるということを自立生活運動はしてきた。すくなくとも、何も選択できないよりはできた方が良いし、選べるものは少ないよりは多い方が良い、ということは私もそう思う。施設にいて何も決められないよりは、介助者を使って自分の決定にしたがって生きる方が良いというのも確かにわかる。

 問題は、「選択の自由」と「自立」がどのような関係にあるのか、ということだと思う。別に「選択の自由」と「自立」は結びつかないのだ、と言ってよいかどうか。これを考えるために、この『生きるための経済学』は役に立つ、と思う。

 この本には書いていなかったが(そして出典もろくに思い出せないのだが)、清沢満之が貧乏をしていて食べるものがなにもなくなったとき、パートナー(お嫁さん)から「どうするの?」と聞かれ、「それは阿弥陀如来に任せる。自分たちが決めることではない」みたいなことを言い放ったというのを思い出す。別にそれはそれで自立した生き方だと思う。

 初期青い芝というかマハラバ村で、そうした「親鸞的」というのか「満之的」というのかわからないが、その思想と障害者の思想が融合というか溶け合ったというのか、混ざり合ったということはこの本で頼尊さんが書いていた。頼尊さんは、あまり面識はないのだが、安冨信哉先生のもとで学部時代に勉強をしていたそうで、満之全集にも関わりがあったらしいと少しだけ聞いた。

 とにもかくにも、そこになにかのヒントがあるような気がしてならない。この『生きるための経済学』と『真宗学と障害学』は明らかにくっついている――私の脳の中では、ということ。

まずはここまで。これから追記していきたい。 20221001

投稿日:2022/10/01

修正日:2022/10/01