■文献

「七〇年代から八〇年代にかけて見られた、「附属盲ろう」から和光など大学へ、というパターンは本書(対話1、5、6、7、8)のおいてもうかがえる。このように”選ばれた”「障害」者の立場と課題を、授業「障問試論」などキャンパスのところどころで、教員であるぼくは「健常」学生のそれらと関連させながら考え続けた」(p.45)

篠原 睦治編 20100515 『関係の原像を描く――「障害」元学生との対話を重ねて』,現代書館

■メモ

越智大輔→和光
古賀典夫→和光

→このあたりの人が筑短反対運動を和光側でやっていた、というのはあながち間違いではないというか、そういう筋は間違いなくありそうな気が。

投稿日:2022/12/09

修正日:2022/12/09