■東京教育大学→和光

いわゆる教育大から和光へ。筑波大学設置反対闘争の流れで。

■障害学生の受け入れ

障害学生を和光でたくさん受け入れていた。その背景には梅根の方針がある。

■主張

 これについて梅根悟教育学部教授は当時教育史的観点から次のように述べたが、これは識者の意見を代弁するものであったろう。

 「…もともとこのような考え方は専門学校主義ともいうべきもので、近代の国家権力は18世紀以来既存の<大学>にあきたらないで、大学とは別にどしどしそんな学校を作り出したものである。…大学というところは学問の自由を盾にして勝手な思想をばらまくところだし、しばしば革命運動の根城になるし、国家の奉公人に身につけさせたい学問や技術だってみっちり徒弟式にたたきこめば一年か二年ですむことを四年も五年もかかって教えている。こんな危険で非能率なものはないというのが、ナポレオンをはじめとする専門学校主義者の言い分である。…中教審が学術会議や国立大学協会の主張に反対して、日本の高等教育施設の専門学校化にふみ切ったことは、実に重大なあやまちを犯したものである。…」(「教育大学新聞」昭和36年9月10日号)

◇<ドキュメント>1962年の学長選挙闘争(三輪知雄学長就任)http://tue.news.coocan.jp/gakucho.htm

■しかし?

「一方で、梅根学長は、「点字辞典、英字参考書を豊富に備え付けるには、多額の経費を必要とする。また、車イスによる教室移動を必要とする者のためには、そのためのエレベーター、スロープ階段などの施設を要するので、本学のような小規模私学では耐えられない。本学の経験によって言えば、障害者の大学教育は、国費でまかなっている国立大学が主として受け入れて、十分の施設設備をすべきであり、そのためのセンター的大学が地域毎に設けられるようにすべきである」と、外部の機関の質問に回答している(1972年)
◇篠原 睦治編 20100515 『関係の原像を描く――「障害」元学生との対話を重ねて』,23, 現代書館

投稿日:2022/12/10

修正日:2022/12/10