20251007日誌:社会モデル

社会モデルって、社会構造そのもの(materialなもの)をちゃんと考えましょうよという話だったのが、いつのまにかこの人は社会モデルに立ってる立ってないみたいな「原罪論」的モデルにすり替わっていて、そのこと自体が面白いと思う。個人モデルに立っていた私=ダメ。社会モデルに立っている私=OK。

もとはそうではなくて、言ってしまえば資本制の生産様式というもの自体が、できるひとできないひとに分けるということだったわけで、そういう個々人の原罪論的なものを刺激するためのツールとして言説的に利用されていること自体が不思議だ。

例えば

「社会モデルを知らないのは問題」
「あなたの立場は個人モデル的ではないか?」
「私は社会モデルの立場から発言している」

トカ。

そこにはmaterialismというのは一切ないわけでしょう。

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山口和紀