20260205日誌:自分のなかに後から入
2026.02.13 金自分のなかに後から入ってきた価値観というものがあって、その価値観について書いているわけであって、それは一種のフィールドワークであると思う。だがその事を言うとなかなかはなしがややこしくなってくるので言わないだけであって、自分が〇〇だから✕✕であるというような安直な話では決してないのであって、そのことについて1年くらいはずいぶん考えて、この日誌のおかげでかなり書けてきた。
構成を考えてから文章を書くことと、構成を考えないでとりあえず書いてみてそれで詰まったところで考えるという方式があって、立岩真也は後者なわけですけれど、ただ書きたいことはまあ心のなかにあるわけで、心のなかにある程度あったら書けるでしょうというのが立岩さんが言っていたことの気がするわけで、まあそんな感じに書いている。そんな感じに書いている人というのは、私の周りにはあんまりいない気がする。
で、そういう立岩式なるものについて、立岩式執筆術みたいなものがあるとして、それは毎日毎日本当に気が遠くなるようなメモを残していたことに依るわけですけれど、そのメモを大量に残すということもまたこの社会のなかでやりにくくなってるわけですよ。とはいえcolevi.jpは私にとってその母艦であるということ。
博士論文を書いていて、もちろん自分の過去に書いてきた文章に向き合うわけだが、ピーキーだなと思う。なんでこんなピーキーに書いていたんだろうと思う。今はこんなふうには書けないわけで、書こうというモードになったら書けるのかもしれないが。わたしはたぶんそういうふうに書くのは向いていないということだけでもわかったからそれはそれでよかったのだけれど。
と、まあこういうふうにアイデアを書いてみると、なにか書ける気がする。
わかりにくくて伝達力に優れていない文章というものがあるわけですよ。
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