2025-06-27
立岩さんが亡くなったのが7/31。夏になると思い出さざるを得ない。 そのとき私は大学院の3回生、いわゆるD1であった。本格的に具合を悪くされたのが、私がM2でいわゆる修士論文を書いていたところだったから、私に本格的な指導教員がいたのはたった2年にも満たないということになる――無論、今に至るまで様々に先生方が良くしてくれた/ていることは、たしかに紛れもなくあるのだが、それでも。 博士課程のあいだ、どこにも所属していないような、誰からも見放されているようなそんな気分だった。 それはおそらく、周りの人たちも同じなはずで、それはなんだかなあ、と思うところもあって、院生協議会の会長なるものも少しだけやってみた。のだが、それもほとんど何もしていないに等しいだろう。 まーそもそも、大学院なんてそんなものだ、ということもできるだろう。でも、ということをいつも考えてしまう。 それなりには、という枕詞をつければ、私は、よくやっている方だと思う。それでもなお、立岩さんが生きていてくれたらなあ、と思わない日はやはりない。