記録

20260130日誌:今日は、と言っても日

2026-01-30
今日は、と言っても日付またいでるけど、疲れたな。ちゃんと寝る 今日はかなり忙しい。 今日も寒い こんなところに書くことでもないかもしれないけど、友達がハサウェイ好きで、公開を楽しみにしていたけどその友達は、病気で亡くなってしまって、かわりに見る、か、と思う。 同じような話だけど、わたしはこの間チャットモンチーの新曲が出ているのをユーチューブで見つけたけど聴けなかった。それくらいチャットモンチーには何かがある。

20260129日誌:今日は先輩と後輩とは

2026-01-29
今日は先輩と後輩とはま寿司に行って、それでいろいろ話した。そういえばゼミに行った。午前中と午後は仕事をしていて、仕事は結構進んだ気がするけど、基本的にはAIとの対話というかAIを監視する人間みたいになっていて、きっとその部分も代替されていくんだと思うし、自分の仕事ってどうなるんだろうと思った。プログラマーになりたいと子供のころ思っていて、それで、実際プログラマーになったわけで、それはよかったのかも CodexとかAIで好きなだけ自分の道具を作れるようになった。これもそうなわけだ。鉄鍋に似てるかも知れない。カブにも似てる。自分の道具にしていく感じ。それで手になじんできて、ということ。 でもほんといい世界になった気がする。 まあこんなことしてる場合じゃないか。でもこういうツイッターみたいなUIで日記が書けるのがうれしい。 まあ一人ツイッターを日誌にするというアイデア。アイデアなんだけど結構いい気がする。ツイッターならどれだけでも書けるわけだし。遅いツイッター。遅いツイッターを一人でつくったということ。 とりあえず査読帰ってきたし、査読考える。査読ほどありがたいものはないな。考えるきっかけに[...]

20260125日誌:置き配的

2026-01-25
 福尾さんの置き配的をアマゾンで頼んだ。それで次の日家に帰ってきて、なんというか文字通り置き配されてたのだが、家に取り込まずに一晩置いてしまった。その時ちょうど頭痛くて。  それで今読んでみている。なるほど、置き配的かあ、と納得。月並みな感想未満の感想。読む前、全然イメージついてなくて、置き配的というのはたとえば、この日記とかそうだけど、誰も読まないのに置いてあって気がついたら置いてあって、それで読みたかったら読めるみたいなことかと勝手にイメージしていたが違うようだ。それは置き配と言うか無人販売所。無人販売所的なコミュニケーション。商品さえあれば、誰か来るだろう、というこう、楽観的な感じ。誰も読まなくていいとも思ってないわけだし。  えっと、それで、なんだろう。置き配的というのは言ってみたら深読みというか、喋ってて、あーはいはい、そうそうみたいな。勝手に分かった気になって結論を推測して、あーその話はこの話ね、みたいな、勝手なラベリングを「メタデータ」でやってしまうみたいなことかなと。まあそういうことよくやってしまうけど。ある程度は仕方ないわけだけど、良くないよなあと反省。置き配的という[...]

20260124日誌:いやあー

2026-01-24
 いやあー、疲れました。とにかく疲れました。今思うと去年の11月から12月にかけてはちょっとこう、鬱っぽくなっていて、というか今も結構鬱っぽい。大丈夫なんだろうかとも思う。休んでないというのが効いてるかも。休まないといけないんだろうと思うけど、休めないというか。まあ、そんなところかなあ。昔から自分はそうだけど。とにかく自分は休めなくて。  なんだろう。あと。  AIか。この数ヶ月で私は恐ろしいくらいAI使うようになった。それが一つ。明日も新しい物を試そうとしてる。思ったものをその場で作る。DIYの世界だなあ。素人に優しい世界になった。良かった。良かったのかな、分からないけど。  またこの日誌もちゃんと書きたいけど、とにかく時間がなくて、とにかく時間が足りないというか自分の気持値が足りなくて、それで。でもこうやって書けてるんだしいいじゃん。とも思うわけで、そこは微妙なところ。もっとラフに書けると思うし、でも、まあこんなところかなということもあるし。  そうか、まあ、自分のつまらない話に、なんというか自信持っていいじゃんと言うことを思った。まあ、そうやってしか、しゃべれないんだし、そういう[...]

20260116日誌:つまんないこと

2026-01-16
 まあそうね、つまんないこというというか、大人見て、つまらないなーっておもってたけど、そういうつまらないことの大事さというか、重さとかそういうことを考えるようにはなった。とにかくつまらない大人になることの大事さ。つまらない大人をつまらない大人だと思わないことの大事さ。  あとなんていうか、君子危うきに近づかずというか、まあ君子ではないけど、危ういことには近づかないことに。  詰まんないこと考えることの大事さ。こうやって日記も続くようになった。

20260110日誌:博論

2026-01-10
 博論。うまくいえないが、博論を完成させるというより、提出日までガンガンやれることをやって、できたものを出す、という気持ちにかわってきた。不思議。諦めがついたのかもしれないのと、この問いで間違っていない、という根拠のない確信みたいなものが出てきたのかもしれない。いずれにしても、自分が出来る範囲というのはこのあたりだろう、それはそれでよいだろう、と今は思える。

20260105日誌:抱負

2026-01-05
 抱負。  まず、今年、私がしなくてはならないことは博論を書くこと、だ。そこに付随して、出版助成を出したり、あるいはポスドク等の募集に応募すること。そのあたりは、ここで書くことではない、ということで、とりあえずそのあたりは、省く。  時間とお金。まず時間はなんとかするしかない。学振とかの生活費の支援があるわけでもないし、奨学金ももらっていないわけで、自分が生きていくためのお金をまず頑張って作る。有難いことに仕事はあるわけだし、仕事を頼まれるわけだし、誠心誠意頑張る。頑張ればまた仕事がもらえる。その繰り返し。そうでなくても、何か仕事をしたらいい。こだわりがあるわけではないし、何でもします。しいて言えば、犯罪はしたくないし、文章書く仕事なら「署名」はしたい。そこらへんは、ものによるが。原則として、署名できない文章の仕事はしない。それくらいしか自分には縛りがないかな。  それで、時間か。どうもこの数年にわたって、とくにお金にはならない時間ばかりとられること、をたくさんやってきてしまった。それは悪いことではなかったが、今年はなるべくというか、基本的にしない。きっちり文章に向き合う、ということだ[...]

20251227日誌:20251227

2025-12-27
なんていうかな、つまりさ、主体化ってのは引き受けるってことだ。で、引き受けられないんだよね。でも引き受けてしまうんだよね。

20251226日誌:まあこの日誌も

2025-12-26
まあこの日誌も書けなくなっていて、師走で。いいや、それは終わったこととして。なにかまわりのひとたちもみんな具合が悪くなっている気がするけど、それは私には関係ない。 私には関係ない。だな、テーマは。 地球の裏側まで背負ってしまうことについて。関係ない。地球の裏側の人は私には関係ない、と思うこと。 もっと噛み砕くか。普通に言えば、ある人に対する責任を負うことは広がる。広がるというのは、AさんもBさんもその苦しみは私のことだ、ということになる。そうやって、その苦しみを負っていくことがだいじだ、と私は思わないということ。 そこまではそう。切ってしまうこと。私には関係ない。 だが、それができない。というモチーフ。その微妙さ。それができない、ことをどう考えるか。それを考えてしまうわけだ。 そのことについて書いてるんだなと。 私には関係ない、のだが、関係してしまうこと。そっちに引っ張られると言ってもいい。まずそこを肯定したいと思う。だが、そこからも「同時に」離れること。

20251221日誌:念仏

2025-12-21
 念仏唱えるように書く。立岩さんはそんな感じだった。お坊さんが毎日お経を唱えるように、とにかく書いていた。  ここまで書いてみて、いや、そんなこともないよなと思った。それは誇張だ。誇張だが、そうとも言えないような凄みはやはり立岩さんにはあった。  ともかくその、書くことが目的化しないというか、逆か、とにかく書くことがだいじ。文字数が進むことがだいじだという態度。  変なこと書いてしまったな。

20251215日誌:子供

2025-12-15
子供の頃、なけなしのお年玉で自作PCを組んだ。ただ、OSの代金を計算に入れ忘れていて、Windowsが買えなかった。仕方なくLinux(Ubuntu)を入れて、数年間使うことになった。今思えば、本当に良い経験だった。

20251213日誌:石牟礼

2025-12-13
 石牟礼、森崎。最近、石牟礼を読んで、はっとした。 以下は『海底の修羅』(坂口恭平)のカバー https://colevi.jp/wp-content/uploads/2025/12/海底の修羅20251213.wav

20251212日誌:疲れた

2025-12-12
 疲れていて、結構どうにもならないかんじ。ちょっとアイデアを思いついてしまって、それを形にするために、2週間ぐらい頑張って、それでそれはたぶんかなりうまくいったきがする。それで、1年間振り返ってみると、たしかに、というかかなり仕事したなと思う。それで、できることも増えたと思うし、金銭的にもなんとかなっているし、よかった。悪いことはほとんどなくて、焦るくらいかな。焦る。  まずともかく疲れていて、師走ってそういうものなのかもしれないけど、もっときっちり自分のために時間を使うというか、一人でいるってことが大事なんだなとか思う。  それで、どうもこの日誌を書くための余力を失っていてかけていなかった。でも、前には進んでいると思うわけだし。そろそろ人にアドバイスもらいたいなとか思うけど。それもまあやればいいんだし。  一本レコーディングしたので上げてみる。

20251210日誌:柚子

2025-12-10
「柚子(風呂用)」が、職場の角の八百屋に売られていたが、心が揺れ動いて買おうか一瞬頭の中で回転させて迷って、立ち止まったけども、結局今日は買わなかった。食用ではないとして、風呂縛りか。

20251203日誌:えっと

2025-12-03
 えっと、昨日の日誌で、オチのない話を書くと書いた。それで、エックスを見ていたら福尾匠さんが本を書くと書いていて、その内容が貼ってあった。「日記哲学草稿」と題されていた。 https://tfukuo.com/2025/12/02/1-8/  そこで、イベントレスネスということを福尾さんが書いていて、オチのない話=イベントレスネスだと思った。いや違うかもしれない。オチがないのと、イベントがないのは違うか。でも、似たようなものかも知れない。  それでわたしも、オチもイベントもないことが書きたい。  例えばコードで考えてみるとして、Ⅰ→Ⅳ→Ⅴ→Ⅰと進めば、明らかにここにはオチがある。だけれども、Ⅰ→Ⅳ→Ⅴ→Ⅱmに進んでもいいというか。でも、そうだな、これでもやっぱり進んでいるところに進んでいる気がする。だとしたら、イベントはあるな。ダイアトニックで考えるのをやめたら良いのかも知れない。そういうのが一つ思ったりした。  うーん。まあ、Ⅴまできたら、Ⅰには行きたくなる。だとしたら、ⅤとかⅠトカ意識するのをやめる?そのほうがいいのかな。いいのかもしれないけど、ピンクの象じゃないけど、意識しないで[...]

20251202日誌:いろいろ

2025-12-02
 色々不安だったけどまあなんとかなるかなと思える。AIはすごいな。AIをとにかく稼働させ続けて、それが自分のストックになる。そうなるといいなと思った。  この日記、6万字書いてるみたいだ。6万字も書いたらもはや本だな。くだらないこと書いてるとも言えるけど。この調子なら無限に書けるもんな。無限に書ける。  いま、はなまるうどんにいる。歩いて本屋に行こうかな。まあ歩く。チャッピーって最初ちゃんと、ChatGPTって言われてたけど、最近チャッピーだよね。  平日のビジネス街おもしろいな。なんか、いろんな人いる。私もその一人だな。わたし。  オチなくてもいいよね。日誌って。日誌にオチがあったら困るもん。オチのない話を書き続ける。

20251201日誌:もう12

2025-12-01
 もう12月だ。今年長いな。とにかく長い。今年は長かった。なんかめちゃくちゃいろんなことしたな。おかしなくらいした。もう疲れた。かなりたくさんの仕事をした。仕事をするための仕事もした。アメリカにも行ったんだし。

20251130日誌:もっと

2025-11-30
 もっとこう、完成していないものが見たいわけだ。だからほんとうは、音声入力でしゃべったことをそのまま文字にしてもらったらいいのだとおもう。論文もこう、もっと完成していないことをどんどん書けばいいんだろうなと思う。そこが怖くてできないわけだ。頭の中で完成したものをかくからつまらなくなるところがあって、もっと完成していないものをそのまま出してしまえばいいのだとおもう。Xでそれをやりたいが、それがなかなかできない。Xは難しい。誰かに見られているというのはあまりよくないことだな。この日誌はその点いい、ほとんどだれも見ていなくて、たまに自分が見返すくらいのもので、まあ簡単に言えば、ひとりごととしてはわりかしいいともいえる。仕事しないとな。仕事しないとなとか適当なこと書きこめるのもいいよね。いいと思う。もっとこう、完成していないものをどんどんかいてしまえばよくて、そこのあたりの呪縛というか、そのあたりの意識を変えるみたいなことが、この日誌にも必要だよね。そうおもう。もっと、こう、友達に話しかけるくらいのことというか、自転車に乗ってるときにあたまのなかにでてくるくらいの感じでやっていくというかそんな[...]

20251126日誌:日誌

2025-11-26
 日誌書き始めてかなり経った。多分、1年は経った。もっとアカデミックなものを書こうと思って始めたが、そうではないものになった。だけど、どうも、この日誌を通して書けるものが増えたと思う。たぶん足したら10万字くらいは書いてるんじゃないかと思う。もっと書いてるかも知れない。立岩さんは毎日2時間arsvi.comを更新し続けたと言った。すごいなとその時に思った。その時はたしかコロナだった。立岩さんの記憶はほとんどコロナの記憶で、ということは、対面ではほとんど会ったことがなくて、でも多くを学んだと今更思う。立岩さんは毎日更新していて、それこそ亡くなる直前まで恐ろしい頻度で何かを書き続けていて、教授会の最中も何かを書き続けていた(らしい)、飲み会の最中もパソコンに何か書いていた。とにかくなにか取り憑かれたかのごとくなにかをパソコンに打ち付けていた。キーボード持ってきてくれと頼まれたこともあった。その時私は確かインフルエンザにかかっていた。6畳の部屋に住んでいた。結構つらい時期だった。楽しい時期だった。とにかくたくさん思ったこと書くということの効能。とまでは行かないかもしれないが、たぶん私もたくさ[...]